プロフィール:八坂亜紀
・保育士
・チャイルドアートカウンセラー(ハート&カラー末永メソッド)
証券会社、電機メーカーでの事務を経験した後、パソコンを使ってのアートワークを制作する。ダンボール箱の表層デザインや業務フロー図の書き起こしなど、工場の図面部門で働く。
その後、WEBサイト制作会社にて派遣勤務。電気メーカーのwebサイト制作を経て、食の資格認定機関のweb運用を担当。
その後体調を崩し、大手メディアにて報道部署の庶務事務を担当。
現在は、大手金融機関にて業務事務を担当中。
2011年、冒険工作ランドの全身の自由創作アトリエを開講
2017年、保育士資格取得
ただ、絵を認めてもらいたかった子どものころ
私は、今でこそパソコンでも自分自身の手でも、絵を描くことが得意なこととなっています。そんな私ですが、小学校のころはただ一人の先生の評価を除いては、ほとんど図工の成績は平均以下でした。
母の話では、当時青森の小学校に入学し、1年生の時は「色使いがおかしい、気味の悪い絵を描く」とよく先生に言われていたそうです。
ところが、2年生になり、ある若い男性の図工専門の先生に教わるようになってから、ことごとく評価がよくなっていったのです。
四つ切の画用紙に描いているとき、左端が5センチほど何も描くことがなく空白で余ってしまいました。その先生は、ひょいと画用紙をもっていき、不要な5センチ分を切り落として返してくれました。子ども心に、とても描きやすくなって嬉しかったことを覚えています。
色使いについても、何も文句を言われた覚えがありませんでした。そして、その先生の指導のもと、小学2年の私の絵が青森県の県展で県知事賞をいただいたのでした。
その後、2年生の3学期には転校することになり、その先生とはお別れとなりました。残念なことに、私も母も先生のお名前を覚えておらず、当時の小学校に消息を尋ねられたら、と考える日々です。
今になって振り返ると、私はこの恩人の先生のように、子ども達に工作を教えたかったのだと、そう思い至りました。
揺るがないもの、認めてほしい心
以後も、相変わらず小学校では図工の成績はひどいものでした。出された課題がちゃんとこなせなかったり、つまらなくてきちんと提出しなかったり、本当に好きなだけで上手ではなかったのでしょう。(笑)
でも、幼いころに心に根付いた揺ぎない自負心と自分の作ったものを認めてもらえた満足感が、ずっと今現在まで私の活動の原動力となってきたようです。事務仕事を避けて、アートワーク制作やweb制作へ進んだのも、好きなことを仕事にしたいという気持ちからでした。事務職からの転換の時期が30台後半となり、web業界への転身は遅すぎると言われても、好きなことを貫き、制作物が多くの人の目に触れることを望んで、進み続けました。
ところで、現代の子どもたちのきゅうくつな様子を見るにつけ、私はこの幼少時代の出来事を鮮烈に思い出します。子どもの間は、何を作ってもどのように描いても評価されるようなことはあってはいけないと思います。創作は自分自身を表現する一つの手段なのですから。
一生懸命作ったものを、比べられて順番をつけられてしまう、子どものうちに大切なものを握りつぶしてしまうことになりかねません。
ですから、子どものうちに何か一つ揺ぎないもの、褒められた思い出、自信を持つことができれば、その後どんなことがあってもその事を好きで続けられる、そう思うのです。
このワークショップを通して、多くの子どもさんに
「揺ぎないもの」を掴みとって欲しいと思います。